非核武装独立

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このままでは日本は戦場になる

 アメリカの軍事力、とりわけ海洋軍事力が中国の海洋軍事力を抑え込めるレベルに達するまで(アメリカ軍自身でも2030〜2035年までには無理と考えている)は、アメリカ軍は中国に対しては接近阻止戦略を取らざるをえない。 そのような状況下において、日本が日米同盟に頼りきり、アメリカの軍事的属国状態であることに何の疑問も感ぜず(あるいは積極的にそのような状態を受け入れ)、アメリカが「ロシアは敵」といえば日本でも「ロシアは敵」になり、アメリカが「中国は敵」といえば日本でも「中国は敵」になる、という状況が続いている限り、アメリカが接近阻止戦略に立脚して中国と軍事衝突したならば、日本は戦場(というよりはミサイル落下列島)と化し、多くの日本国民が命を失い、財産を破壊される運命に見舞われてしまうことは避けられそうにない。 アメリカに日本を平気で捨て駒に用いる発想の対中接近阻止戦略を諦めさせ、「初めに軍事衝突ありき」という覇道国家的な対中対決姿勢を改めさせるには、日本がアメリカだけではなく、いかなる国の軍事的保護をも求めない永世中立国として日米同盟から離脱するしか策はない。そのようにして日本がアメリカの軍事的属国から真の独立国として生まれ変わったならば、アメリカの接近阻止戦略に巻き込まれて多くの国民やインフラが犠牲になる恐れもなくなり、アメリカが別の覇道国家的新戦略を捻り出して戦争を始めても、永世中立国として局外に立つことになるのである。

『米軍最強という幻想 アメリカは日本を守らない』北村淳 PHP(2024)

戦後そろそろ80年を迎えるが、その間日本は戦場にならずに過ごせた。2022年に勃発したロシアによるウクライナへの特別軍事作戦は、日々メディアやウェブでその惨状が白日のもとに晒されている。あらためて自らの生活の場が戦場になることの悲惨さが身に沁みる。 「台湾有事」は「日本有事」だと言いながら「日本有事」になった場合の備えに我が国は勤しんでいるように見えるが、とんでもないことである。「独立不羈三千年」を誇った我が国がアメリカの軍事的属国としてでも獲得したかったことは我が国が二度と戦場にならないことである。 国是として安全保障をアメリカに任せ、経済に全振りにすることを決めた当時と現在で大きく異なることは、当時のアメリカは突出した軍事的大国であったのに対し、現在のアメリカ軍も強大であるが、チャイナの方もかなりの軍事大国化してしまっている。アメリカはヨーロッパ方面、中東方面へも目を向けなければならず、アメリカの優位性は相対的なものである。チャイナもアメリカと完全にガチンコの戦争はする気はないだろうが、その手先の台湾や日本となら余裕で相手しようという姿勢と思われる。 アメリカ大統領選はトランプ氏が再登板となる可能性が高まってきているようだが、トランプ氏相手なら安保条約の破棄は比較的楽にできるだろうと思われる。バイデン氏あるいはその後継者となる場合でも粘り強く交渉すれば、可能であろう。まずは、我が国の国論を武装永世中立国化で統一する必要がある。
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草莽崛起

 

然れども幕府の吏皆肉食と紈袴の子弟のみなれば、就中(なかんづく)一、二の傑物ありとも衆楚の囂々(ごうごう)、一斉人の能く克つべきに非ず。(中略)独立不羈三千年の大日本、一朝人羈縛(きばく)を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや。(中略)今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼みなし。

「北山安世宛書簡」吉田松陰(1859年)

 

 

 「このままじゃいけない。」令和6年7月7日投開票の東京都知事選のある立候補者の演説冒頭の言葉である。我が国日本の社会が生きにくくなって久しい。「このままじゃいけない」と感ずる方が多いのではないだろうか。そう感ずる理由は色々あるのだろうが、時代や環境の変化に合わせて社会制度を変化させるということをほとんどしてこなかったことに対して、流石に現状を打破しなければならないと行動し始める存在がそこここに見られるようになったと感ずる。まさに幕末維新の頃と同じ草莽崛起(在野から現状打破の勢力が次々と現れる)の状態になりつつあるように見える。

 草莽崛起の結果の明治維新は、結果として「独立不羈三千年」を終了させ米軍による占領を招くに至った。名実ともに占領されている状態から現在は名としては独立していることになっているが、実としては未だ占領されている状態は不変であると言わざるを得ない。それでも高度経済成長の果実を味わっていられる間は、民は皆概ね満足していられた。現在の民は苦しんでいる。一方で我が国の政官財と呼ばれる支配層は、肉食と紈袴(何の不自由もない生活に慣れたものを知らない馬鹿者や柔軟者)の子弟のみであり、酔っぱらいの如く思い付きだけで行う政治をしており、この状態をこの先も続ける余地はない。幕末における吉田松陰のごとく、現状に対しての処方箋を声高に訴える存在が今求められている。

筆者の職業上の座右の銘のうちの一つは、「形態は機能を担保する」である。医学生の頃に組織学の授業で教わった言葉であるが、医師として疾病の病態を理解する上で、この言葉が真実であることを何回も実感したものである。そしてこの命題は組織学や病理学だけでなく、あらゆるものに適応できると信じてもいる。

我々の生きている現代社会にこの命題を適応すると、「『法律で作り上げた制度』(=形態)は『生きやすい社会』(=機能)を担保する」となる。現状の生きにくい社会から生きやすい社会にするためには、法律を変える必要があり、その結果として様々な社会制度を変更する必要がある。

現在の制度上、法律を変えるには国会で多数派を取らねばならず、多数派をまとめる理念が必要となる。現状維持を積極的にしたい与党と消極的にそれを助けている野党が多数を占めているという現状に風穴を開けるための思想が必要なのだ。草莽崛起は認められるが、一つ一つの草たちが個々バラバラに動いているようでは、国会での多数派をとることは困難であろう。

以下、筆者の私見を開陳したい。もちろん筆者は政治にも法律にも素人で全くの門外漢ではある。至らないところは多々あるとは思われるが、我が同胞の多くにとって必要なものが新たな政治思想であると信じている。これを叩き台にして発展させて行くも良し、もっと根本的に異なる政治思想を打ち立てていただくも良し。議論の元になることを祈念する。

 

筆者がこれから述べる政治思想を一言で表すと「人本主義」である。

用語としての「人本主義」は1980年代後半に経営学者の伊丹敬之氏が唱えた経営学上の概念が初出であるが、ここでは「資本主義」に対置する用語で、行きすぎた資本主義に対する反省を踏まえ、一人一人を大切にしようとする考え方として定義する。

人本主義の三大標語は以下である。

1.            自主独立:非核武装中立

2.            制度主義:社会的共通資本

3.            地方分権:租税政策、分権

以下、順に説明しよう。

 また、筆者の立場は、人本党準備委員会委員である。準備委員会に加入希望の方を募集する。加入希望の方は、 jinpontou@gmail.com までご連絡をお願いしたい。